アルムの書斎

【ざっくり世界史解説】

chapter5

〜文化の融合と
イスラーム教〜

ざっくり世界史解説

どうも、アルムです。

ということで今回は「ざっくり世界史解説」のChapter5「~文化の融合とイスラーム教~」ということで、いよいよ中東の歴史に入っていきたいと思います。

皆さん「中東」と聞いてどんなイメージを持ってますかね?

僕の予想ですが、「平和で穏やかな所」と考えてる人は恐らく少なんじゃないでしょうか。

なぜなら現在の中東は、世界で最も危険な地域と言っても過言じゃないからですよね。そう、あの「イスラム国」や「タリバン」がいる地域だからです。最近のニュースで「タリバンがアフガニスタンの首都を制圧して政権を20年ぶりに取った」とかいう報道がされてましたが、現地の映像を見ただけでもまあ恐ろしいですよね。そこかしこに武装した兵士が立ってて、抗議しようもんなら何されるか分かんない。人権も何もあったもんじゃないと多くの人が思ったはずです。

他にもイスラエルとパレスチナの問題があります。イスラエルを国として認めるとか認めないとか、聖地を取り戻せとかなんとか。キリスト教だけじゃなくユダヤ教とも揉めているのをニュースでたまにみると思います。

そんな現在の中東ですが、実は最初からそんな様子だったわけではありません。むしろ過去の歴史を覗いてみると、怖くて貧しいどころか、文化がめちゃくちゃ栄えていたことが分かります。

現在の中東の争いの火種になってるのは「イスラーム教」の存在なんですが、宗教の基礎知識がない僕らからすると、今のイスラーム教のイメージだけで「厳しくて怖い宗教」と捉えがちですよね。しかし、本来のイスラーム教は決してそんなことはなくて、もっと穏やかにやってる宗派もたくさんあります。タリバンが掲げているイスラーム教は、そのたくさんある宗派のうちの一部に過ぎません。しかも、タリバンやアフガニスタンが武装集団になってる理由も、宗派の違いだけじゃなく、資本主義と共産主義の対立の中で生まれたからああなってるだけで、厳格なイスラーム教がみんな武装してるのかと言ったらそうではないんですね。この辺がちょっと複雑に聞こえるから僕らには理解しづらいんですが、歴史を一からさらうと少しずつ分かってくるので、今回は中東の初期の成り立ちとイスラーム教誕生の歴史からまずは解説していこうと思います。

現在の中東の様子に直接つながるわけではないんですが、中東という地域がどういう歴史を経て、どういう個性を持っているのかをまず「知ること」が大事なので、ぜひ聞いていただければと思います。

今回の放送は記事にもなってるので、先に知りたい方はそちらをぜひご覧下さい。

それでは早速いきましょう。

まず、中東の中でも4つの地域の歴史から見ていくことにしましょう。最初は「メソポタミア」です。「メソポタミア」って皆さん一度は聞いたことあるんじゃないですかね?

メソポタミアは現在のイラク、ティグリス川とユーフラテス川という2つの大きな川の間に位置します。ここで生まれた「メソポタミア文明」というのが、現時点で人類最古の文明とされています。今からおよそ6000年前です。人類史上最も古い文明はヨーロッパでも中国でもなく、中東から生まれてたんですね。

「メソポタミア文明」をなぜ聞いたことがあるのかというと、この文明で生まれた「楔形文字」というのが、今のところ発見されている世界で最も古い文字だからです。

文字を使って意思の疎通を図ろうとする生物は人間しかいません。現在に至るまで高度なテクノロジーと国家を作り、70億人以上も人類を繁栄させることができたのは、この、「文字」というものを発明したからと言っても過言じゃありません。だとすれば、その「文字」がどうやって発明されたかを知るのは、歴史を学ぶ上でとてつもなく重要です。だから「メソポタミア文明」は歴史の教科書で常に登場するんです。

楔形文字はその名の通り、楔のような形で表現された文字のことを言うんですが、文字が存在するということは、当時の国名や人名を知ることができることを意味します。そして解読の結果、メソポタミア文明が起こってから1000年ほど経って現れた「シュメール人」と言うのが最古の民族であると分かりました。彼らは土木の技術を使って建物を建造したり、正確な地図も作っていたりしたそうです。現在の西暦というのはイエス・キリストが産まれてからの暦ですから、それよりはるか以前から人類は高度な文明を築いていたことが分かります。

さて、そんなシュメール人の次に登場した民族、それが「アッカド人」です。中東の固有名詞はこんなふうに変なところで小文字が使われてて日本語訳すると少し読みづらいんですが、こういう独特な振り仮名と発音を持つのも中東の特徴なので、是非知っておいてください。

アッカド人の頃に建国された王国は、それまでシュメール人が建ててきた都市国家、つまり「点」の国家とは違い、メソポタミア全体を覆うような「面」的な国家を建てていきました。

そして次に現れた民族が「アムル人」という人々です。彼らの国はバビロンという都市を都にしたため「バビロニア」と呼ばれます。この王国の王だったハンムラビ王は、それまでシュメール人が作った法律をまとめて文章で記した「ハンムラビ法典」という法律を作ったことでことで知られています。

「目には目を、歯には歯を」というフレーズ聞いたことがありますよね。「やられたらやり返す」という意味合いで、復讐の場面でよく使われるフレーズです。実はこのフレーズの起源が、ハンムラビ法典から来てるんです。ただ本来は、「やられたらやり返せ」ではなく、「正当な程度の復讐に留めなさい」とか「人に害を及ぼさないようにしなさい」という過剰な復讐への抑止力という意味合いで作られたそうです。つまり、「目には目を」というのは、「目を打たれたら、同じく目を打つだけにしとけ。それ以上やると余計ひどくなるぞ」という意味だということです。

次にエジプトです。エジプトは世界最長の河川であるナイル川で貫かれてることで知られていますが、このナイル川の存在によって生まれたのが「エジプト文明」です。ナイル川は毎年決まった時期に増水することで知られていて、古代エジプトの時代はナイル川の下流がほとんど水に浸かるほどの洪水が毎年起きていました。「さぞ大変だったろう」と今の僕らは思いますが、当時の農民からすると洪水はむしろウェルカムなことだったそうです。ただでさえ乾燥が激しいエジプトは、作物ひとつ育てるのにもかなり苦労します。なので洪水によって豊かな土が運ばれてきてきてくれると、農業をする上ではこの上なくありがたいことなわけです。この恵みの洪水によって高度な文明が育まれることになります。

エジプトが建てた最も古い王国は「古王国」と呼ばれていて、「ファラオ」という王様によって統治がされていたといいます。「ファラオ」と聞いて、懐かしい感じを覚えた人がもしかしたらいるかもしれません。実は「ファラオ」というのは、あの大人気カードゲーム「遊戯王デュエルモンスターズ」の初期の主人公・武藤遊戯のもう一人の人格として登場するキャラクターなんですね。遊戯王を全然知らない方は例えが分かりづらくて申し訳ありません。遊戯王は、僕が小学生の頃には毎日遊んでいたカードゲームで、モンスターのイラストとか効果の発動でとにかく盛り上がっていたのを覚えています。アニメも毎日見ていて、この初期のアニメの裏設定として登場していたのがまさに古代エジプトだったんですね。「ファラオ」はその物語中での鍵を握る重要な人物だったので、改めて名前を聞いたときすごく懐かしさを覚えました。僕はもうやってないんですが、今でも子供から大人までがプレイしていて、世界大会なんかも開催されてるそうです。

さて、そんなファラオが治めていた古王国なんですが、歴史上最も有名な遺跡をこの頃残しています。それが、ピラミッドです。「エジプトといえばピラミッド」ですが、あの有名な遺跡はこの頃に造られたものなんですね。クフ王のものを始めとする三大ピラミッドが特に有名ですが、その建造方法はいまだに分かっていません。古代エジプトの初期にこれほど高度な建築が行われていたことは本当に驚きです。

そして、古王国の時代が終わると、エジプトは「中王国」の時代に入ります。この時代は地方豪族の台頭により、古王国の頃とは打って変わって権威が低下していきます。末期には異民族によって支配下に置かれていた時期もあるそうです。

しかし、その支配をなんんとか振り切って再び王国が建てられます。それが「新王国」です。この頃はエジプト文明が最盛期を迎えていて、「王家の谷」をはじめとする世界遺産が数多く残されています。統治していた王はアメンホテプ4世という人物なんですが、この王は自らの権威拡大のために、それまで多神教だったエジプトを無理やり一神教に変えて、その信仰を強制するという政策を取りました。自ら神を名乗ってみたり、都を移してみたりと大幅な改革を行うんですが、あまりの急な改革に反対勢力が勢いを増してしまい、彼が埋葬された墓は壊されてしまいます。この辺りの下りはなんとなく、ヨーロッパの歴史で出てきたカエサルとか、ディオクレティアヌス帝に近いものを感じます。カエサルも三頭政治の中で終身独裁官になろうとして暗殺されましたし、ディオクレティアヌス帝も専制君主政によって皇帝=神として民衆に礼拝させようとしたりして、後世の評判は良くありません。改革は重要な時があるけれどもいきなり全てを変えようとする、それも、改革する奴に権力が集中するようなやり方をしてしまうと、往々にして反乱が起きるというのは、歴史の教訓として頭に入れておいた方が良さそうです。ちなみに、このアメンホテプ4世の子供というのが、黄金のマスクで知られる「ツタンカーメン王」です。彼は反対派勢力によって父の改革を白紙にされた上に、彼自身、体があまり強くなかったこともあって、死後は小ぶりの墓に埋葬されることになるんですが、それが影響したことで後世になって彼の墓が発見されて非常に有名になりました。

さて、メソポタミアやエジプトは聞き馴染みのある方も多かったかもしれませんが、中東の歴史において後世に影響を与えた地域はこれらだけじゃありません。次に紹介するのは小アジア、シリア、パレスチナについてです。

まずは小アジアからいきましょう。小アジアは現在で言うとトルコの西部を指していて、アナトリアとも呼ばれます。この小アジアに住んでいた民族を「ヒッタイト人」というんですが、実は彼らは、「世界で初めて鉄を本格的に使用した民族」として知られているんですね。それまでの武器は青銅のものを使っていたんですが、刃こぼれしにくい鉄製の武器が使われ始めたことで周辺諸国にとって大きな脅威になったとされています。

そしてシリアです。ヒッタイト人とエジプトの衰退によって「空き家」状態になったシリア・パレスチナ地方にはさまざまな民族が流入していったんですが、特にシリアの民族は商業が得意で、遠くの国との交易も盛んに行い、文字や言葉が遠くまで広がったことで、現在の国々のルーツにもなりました。

内陸と沿岸で民族が分かれていて、内陸では「アラム人」という民族が、アラビア文字や東南アジア文字のみたいなあのウネウネした文字、あれを広めたことで知られています。沿岸部では「フェニキア人」という民族が地中海各地に都市を作っていったんですが、その中で最も強大化した都市が「カルタゴ」です。ヨーロッパの歴史を見て頂けた方は聞き馴染みがあると思います。カルタゴは、ヨーロッパで勢力を拡大していたアテネ、スパルタと地中海の覇権をかけて争ったポエニ戦争で登場した都市でした。ここでもフェニキア文字というのが各地に広まることになるんですが、このフェニキア文字というのが、後の「アルファベット」の起源になります。フェニキア文字の1文字目は「アレフ」、2文字目は「ベートゥ」と読み、続けて読むと「アレフベートゥ」になります。これがギリシア世界に伝わったことで、ギリシア文字の「アルファベータ」になります。この「アレフベートゥ」や「アルファベータ」というのが「アルファベット」の語源です。つまりアルファベットとは「AとB」という意味なんですね。ちょっとした豆知識です。

最後はパレスチナです。パレスチナから起こったのはヘブライ人という民族ですが、何を隠そう、これが後の「ユダヤ人」のことです。ヘブライ人はパレスチナの地で暮らしていたんですが、エジプト人からの侵略を受けて間も無く、奴隷的扱いを受けることになります。そんな時に現れたのが「モーセ」というヘブライ人です。彼はヘブライ人の指導者としてエジプト人の目を掻い潜りながらヘブライ人を集めてエジプトを脱出。そこから紅の海・紅海を割って、シナイ半島に逃げ延びます。そこからパレスチナの地へ移り、ヘブライ王国を建国することになるんです。シナイ半島というのはエジプトとアラビア半島の間を繋いでいる半島を指します。この、エジプト脱出からヘブライ王国建国までのストーリーは「出エジプト」と呼ばれます。ヘブライ王国にはダヴィデ王とソロモン王という王が即位し、繁栄していくんですが、後に分裂することになります。北と南に分かれた王国を、アッシリア、新バビロニアがそれぞれ滅ぼしていき、ヘブライ人は新バビロニアに連行され、再び奴隷として使われるようになります。これを「バビロン捕囚」といいます。新バビロニアが滅亡した後も、アケメネス朝やローマ帝国、イスラーム勢力にずっと支配され続け、20世紀にイスラエルが建国されるまで彼らは自分たちの国を作ることができずに各地を転々としていきます。

エジプトでの奴隷からバビロン捕囚、そこからもずっと支配され続けたヘブライ人が民族的苦難を乗り切るために起こした宗教こそが、「ユダヤ教」なんです。ユダヤ教の教えは大きく2つ。1つは唯一絶対の神・ヤハウェの下、厳格な戒律を守ること。もう1つは救世主の待望です。「世界の終わりが近づいた時、救世主は我々ユダヤの民だけを救ってくださる」という選民思想があるのが特徴です。キリスト教ではこの救世主をイエスだとしていますが、ユダヤ教ではイエスのことを一信者としか認識していないため、同じ神を信じていても対立が生まれています。またイスラーム教は、ムハンマドを最後の預言者として崇めてる側面がありますが、ユダヤ教とキリスト教はムハンマドを預言者として認めていないため、やはり対立しています。こういう事情があって、これら三宗教はいまだにパレスチナの地を巡って争っているというわけです。

宗教についての知識がない僕らからすると、こういう争いは少し滑稽なようにも見えてしまうかもしれないんですが、ヨーロッパの歴史で解説したとおり、キリスト教というのはその影響力の強さでヨーロッパの一大宗教にまで上り詰めた存在なので、歴史をさらう上ではどうしても外せない存在です。たった一つの宗派の違いで多くの血が流れてきたのがヨーロッパでしたから、そのヨーロッパが宗教上一番大事にしている土地を他の勢力に脅かされることは、ヨーロッパ全体の大問題でもあります。そしてそれはユダヤ教徒、イスラーム教徒にとっても同じことです。日本も明治維新が起きる前は仏教を厚く信仰していた歴史があるので、「くだらない」という理由で片付けられないのは察しがつくと思います。日本に伝来した宗教がもし三大宗教のどれかだったら、現在の聖地を巡る問題も食い入るようにチェックしていたかもしれません。

さて、これまでそれぞれの地域の歴史を見てきたわけなんですが、ここからいよいよ「中東の統一」の話に入っていきたいと思います。メソポタミア、エジプト、シリア、パレスチナを全部まとめた「オリエントの統一王朝」についてです。「オリエント(orient)」というのは、ラテン語で「日が上る方角」を意味する「オリエンス(oriens)」という単語を語源にしていて、古代ローマから見て東の地域のことを指します。

最初に統一を成し遂げたのは、「アッシリア」という王朝です。活発な征服活動を行なったことでオリエント初の統一王朝となります。しかし、政治が大変になるのはトップに立つまでよりもトップに立った後の方です。アッシリアの王は統一後の王朝において抵抗勢力の国家や民族を徹底して破壊したり、虐殺したりと、残酷な政治を行ってしまいます。結果、国内で大規模な反乱が起き、統一したアッシリアは4つの国に分裂することになります。

4つに分かれた国の中に、統一前の小アジアに位置した「リディア」という国があるんですが、このリディアでなんと、世界最古の金属貨幣が生まれます。これ意外と知らない方多いんじゃないでしょうか?「貨幣」と言ったらなんとなくヨーロッパか中国が起源だと思いがちですが、実は中東が起源にあるんですね。今の中東とはイメージがだいぶ違うはずです。今は「紛争が絶えない地域」としての印象が強いんですが、古代の中東はヨーロッパとアジアに挟まれているという地の利を生かして、東西と交易を活発に行ったことで全く新しい高度な文化が生まれていきました。金属貨幣の誕生はその最たる例と言って良いでしょう。ここから現在まで続く「お金の歴史」が始まることになります。

さあ、そうして分裂した国を再び統一したのが「アケメネス朝ペルシア」です。現在のイランに位置するペルシアから起こったアケメネス朝は、あっという間にオリエントを統一して、ダレイオス1世という人物がトップに就きます。アケメネス朝はアッシリアで起きた残酷政治から学び、対抗路線の政治を行います。アッシリアでは抵抗する勢力を徹底的に弾圧していましたが、アケメネス朝では納税と軍役を果たせば、その民族にその土地の統治を任せるやり方を取りました。民族的な歴史は長いので、無理に統一させようとするといずれ反乱が起きることを理解したんだと思います。これによってアッシリアより遥かに長く王朝を維持することに成功します。

ヨーロッパへの介入も積極的に行っていました。「ペルシア戦争」でアテネとスパルタの連合軍と戦ったという話は前回のヨーロッパの歴史でもやりましたね。そうして勢力拡大を図っていたんですが、最後はアレクサンドロスの東方遠征によって滅亡してしまいます。

オリエントの統一はその後、アレクサンドロスの大帝国、その後の分割を引き継いだセレウコス朝、遊牧民のイラン人が建てたパルティア、農耕民のイラン人が建てたササン朝ペルシアと続きます。特にパルティアとササン朝ペルシアは、共和政ローマやビザンツ帝国の東側に位置する強国として、長年ローマのライバルとしてバトっていきました。

ここまでの流れだけをざっと振り返ってみると、元々都市国家だった国々が次第に統一されて巨大帝国になるというのはヨーロッパの歴史と似ています。違いがあるとすれば、文化の進み具合が凄まじく速い上に、高度なことです。初期のことから文字を作り出したり、ピラミッドみたいなハイテク建造物作ってみたり、鉄や貨幣も使いこなしてるくらいですから、いかに中東の文明が発達していたかがよく分かります。

では、ここからはいよいよ「イスラーム教誕生の歴史」について話していきたいと思います。今回一番重要な所と言っても過言じゃないので、ぜひ知っていただければと思います。

7世紀の前半、アレクサンドロスの大帝国が分裂した後オリエントを統一したササン朝は、その後ビザンツ帝国と抗争を繰り広げるようになります。このササン朝とビザンツ帝国の抗争の中で生まれたのが、「イスラーム」という宗教です。

抗争の影響でヨーロッパへの交易路が使えなくなっていた商人たちは、戦場を避けるためにアラビア半島を迂回するかたちで交易をおこなっていました。アラビア半島というのは、現在で言うサウジアラビアとかヨルダンの地域を指します。迂回した交易によってアラビア半島は徐々に栄えていき、その中でもメッカ、メディナと言われる都市が経済的に発展していきます。「経済の発展というのは、僕らが考えてる以上に人類の繁栄をもたらす側面がある」というのは、以前紹介した「繁栄」という本にも述べられています。しかし、「経済の発展」は同時に「貧富の差の拡大」を生むことにもつながります。特に中東は貨幣が最初に誕生した場所なので、その差は余計にひどくなります。

そんな状況の中、一介の商人として生活をしていたのが「ムハンマド」という人物でした。彼はある時から洞窟で瞑想に耽るようになるんですが、その瞑想の中で出会ったのが、大天使ガブリエルです。彼はそれまで宗教を特別信仰していたわけではなかったんですが、ガブリエルに突然「ただ一つの神」についての教えを次々に授かると、自分が「預言者」であることを自覚し、一神教を信仰するようになります。これがイスラーム教の始まりです。

イスラーム教の最も中心的な教え、それは「ただ一つの神の前の絶対平等」です。貧富の差に関係なく「人間は皆平等だ」と説いたムハンマドは、自身の体験を周囲の人々に伝えていき貧しい民衆から支持を得ていきます。しかし、商売が繁盛して裕福だった者達からは「自分達を攻撃しようとする集団だ」ということで危険視されて、迫害を受けるようになります。ムハンマドは支持者を率いてメッカからメディナへ避難することになります。イスラーム教ではこの避難のことを「ヒジュラ(聖なる移動)」と呼んでいて、このヒジュラが行われた時期を「イスラーム暦の元年」と定めています。メディナへ避難したムハンマドは現地で力を蓄えた上で、今度は自らメッカに攻め入り、攻略の末、聖地に定めることに成功します。これによって信者をあっという間に増やし、アラビア半島全域を支配下に治めることになります。

では、イスラーム教の中身について解説していきましょう。イスラームと聞くと「豚肉は食べてはいけない」とか「イスラーム過激派」のように、厳しい戒律があって、怖い宗教と思われがちですが、そこまで窮屈な宗教なら、そもそも全世界の4分の1が信仰し続けるわけがありません。だとしたら、この宗教には何かしらの魅力があるはずです。

さっきも言った通り、イスラーム教の最も中心的な教えというのは「ただ一つの神の前の絶対平等」です。「アッラー」という唯一無二の神を信じ、他の神を認めません。これは、ユダヤ教では「ヤハウェ」、キリスト教では「ゴッド」と呼んでいますが、どれも同じく「一つの神」を信じています。つまり、言い方違うだけでみんな「神」と言ってるだけです。なので、この三宗教はいわば「兄弟分」とも言えます。

違いがあるのは「預言者誰ですか?」ということ。モーセだけなのか?あるいはイエスやムハンマドを含めるのか?で分かれます。イスラーム教では、ムハンマドがガブリエルから神の言葉を完全に授かってるので「真の宗教」ということになってますが、ユダヤ教は「選ばれし民」の観点からイスラーム教を認めていないし、キリスト教は処刑から復活したイエスは救世主であり、神の子であると認識しているという違いがあります。

イスラーム教が、他の一神教と比べて特に強調してるのが「平等」というフレーズです。経典「コーラン」には「豚肉やお酒は食さなさいこと」、「1日5回お祈りをすること」など、信者が平等であるための決まり事が書かれています。こういう厳しい掟を全員が守ることで、信者の間に平等意識が生まれます。たとえサウジアラビアの大富豪であっても、断食の期間は一緒に断食するので、民族や貧富の差を超えて平等意識があるというわけです。思い返してみると、たまにニュースや本で見るイスラーム教の信者達はいろんな人種や民族の人たちが信仰しているし、ものすごい大富豪がお祈りをしている様子も見ます。イスラームの信者であればそういう人々の違いを受け入れて、「平等」に扱われるという特徴があるようです。こうしてみると、信者が世界の人口の4分の1を占めてるのにもある程度納得がいきます。

そんな平等意識バリバリのイスラーム教ですが、コーランに書かれていること全てを守るのには限界があります。特に現代社会において1日5回の礼拝などは、人や地域によって守るのが難しいのが現状です。なので、イスラーム教の中でも、時代に合わせて信仰の仕方を変えていかね?っていう勢力と、あくまでも厳格に教えを守ろうとする勢力で対立が起きてしまいます。特に、掟を厳格に守ろうとしないイスラーム教徒や、イスラームに相容れない考えを持つ人々を殺しにくる勢力を「原理主義」とか「イスラーム過激派」と呼んだりします。僕らがニュースでよく見るのはこういう勢力の人たちです。「タリバン」や「イスラーム国」の武装集団は、イスラームの中でもかなり過激な思想を徹底的に教育された集団なので、対抗勢力はもちろん、同じイスラーム教徒であっても殺しにくることがあるんです。

ただ知っておくべきなのは、元々イスラーム教は「平等」に根差した宗教なので、寛容な宗派もたくさんあるよということ。「ああ、イスラーム教っていろんな宗派があってアフガニスタンとかサウジアラビアで見るめちゃくちゃ厳しそうな宗教って全体のごく一部なんだね」と知っておくことです。今後10年20年は海外の人と交流する機会も増えていくでしょうから、言語は喋れなくても、相手の文化を最低限把握しておくことっていうのは大事になってくるはずです。

そんなイスラームが広まった中東地域なんですが、地図を見るとこの辺りはちょうどヨーロッパと中国の中間地点に位置してるんですね。なので、ヨーロッパとアジアの文化が何度も融合して、現在にも影響を与えるぐらい、イスラーム文化の高度化が加速していくことになります。たとえばインドの数学が伝わったことで、十進法やゼロの概念をアラビア数字で表すようになったり、中国の紙の作り方を世界に広めたりっていうふうに「文化の中継地点」としての役割がメチャクチャ大きいのがこの中東です。

ここも今の中東の様子からは想像できない特徴じゃないでしょうか?ヨーロッパとアジアの間の地域という利点を存分に生かしながら、東西のさまざまな文化を入り混ぜたことでどんどん地域を発展させていったと。この歴史は中東への見方を変える重要な要素なので、ぜひ知っておいてもらいたいです。

さて、そんなイスラーム教が広まった後の中東はどうなっていったんでしょうか?ムハンマドが亡くなった後、イスラーム世界では、後を継ぐ宗教的指導者を立てるために「カリフ」というポストを作ります。このカリフの下、イスラーム世界は順調に拡大を続けるんですが、4代目のカリフが何者によって暗殺されてしまうと、シリアにいたウマイヤ家という家系の「ムアーウィア」という人物がカリフを自称し始めます。これによって作られた王朝が「ウマイヤ朝」です。ここからイスラーム教は2つの宗派に分かれることになります。

まず、ムアーウィアをカリフとして受け入れて、実力のあるものがカリフになるべきだとする「スンナ派」。一方、ムアーウィアではなく、ムハンマドの血を引く家系の者がカリフになるべきだとする「シーア派」の2つです。覚え方は、「世襲にすんな・・・派」と、「世襲にしーあ・・・派」です。

そうして宗派が作られたウマイヤ朝なんですが、領土はさらに拡大していきまして、イランからイベリア半島まで至る超広域国家に成長します。イベリア半島はヨーロッパの歴史でも解説した、スペインとか、ポルトガルがいる地域ですね。領土を広げたことでイラン人やヨーロッパ人など様々な民族が一緒になっていきました。

しかしある時、ウマイヤ朝は自ら崩壊につながる政策を打ってしまいます。それが、アラブ人優遇政策です。

アラブ人とは、アラビア半島に住むアラビア語を話す人のことをいうんですが、多数の民族が入り混じっていたウマイヤ朝は税収を稼ぐため人々に税をかけていきます。それが、「人にかける税」と「土地にかける税」という2つです。領土が広くなればなるほど維持するのは大変なので、税を新たに掛けるのは致し方ないところはあるんですが、問題は、この税をアラブ人に対してだけ掛けなかったことです。他の民族は2つの税が掛かっているのに、アラブ人だけなぜか掛かっていない状況に周辺の民族は激怒します。「イスラーム教は平等のはずなのにやってることちげーじゃん」ということで反乱が起きて、結果、ウマイヤ朝は崩壊することになります。

個人的な意見ですが、この辺りは、ヨーロッパの歴史で言うと「アナーニ事件」と似ている気がしますね。あの時もフランス王国の王様が聖職者に対して課税をするって言って教皇から破門を受けるんですが、「関係ねえ」ということで教皇は監禁されて最後は憤死するって言う事件でしたけど、全員が払うべき税金はきちんと平等に掛けないと必ず権力者は痛い目みる、ということがあるようですね。歴史のパターンとして知っておくといいと思います。

ウマイヤ朝の滅亡後はアッバース家という家系が新たに「アッバース朝」という王朝を建てるんですが、ウマイヤ朝での失政を受けて、政権は税制改革に取り組みます。

まず「土地にかかる税」、これは民族関係なく全員が必ず納めるものとする。その上で「人にかかる税」に関しては「異教徒が払う税」ということにしました。なので帝国内でキリスト教やユダヤ教を信仰したい人は、追加で税を払えば信仰が認められたんです。これによって国内の不満は収まり、うまく統治することに成功します。ここがヨーロッパの歴史と少し違うところです。

ヨーロッパの場合は、多神教の時は多神教だけ、キリスト教が普及したらもうキリスト教だけしか信仰しちゃいけませんっていう極端なやり方を取ってたんですが、イスラーム教の場合はたとえ影響力が拡大しても、税によって他の宗教の信仰は認めたんですね。文化が大きく発展したのも、この辺りの寛容さが理由にあるのかもしれません。

建国直後は「タラス河畔の戦い」で中国の唐王朝に勝利をおさめると、捕虜にした唐の紙職人からずっと秘密にされた紙の作り方を教わり、それを一気に世界に広めることにも貢献しました。2代目カリフの頃には首都のバグダードを新たに建設し、人口100万人規模の大都市にまで繁栄させていきます。

一方、イベリア半島ではウマイヤ朝滅亡後のウマイヤ家の生き残りが現地で「後ウマイヤ朝」という王朝を新たに作り、なんとか自分達の勢力を拡大しようと画策しますが、この頃のヨーロッパはカール大帝時代のフランク王国が一大帝国を築いていたので、そことドンパチ争うようになります。このイベリア半島に建てられたイスラーム教国家はその後もヨーロッパと喧嘩するんですが、スペイン王国が国土回復運動でイスラーム勢力を追い出すまでは、しばらく残り続けます。

ということで、今回は以上です。中東の歴史の前半をまずはざっと解説してみたんですが、だいぶ中東に対するイメージ変わったんじゃないですかね?

僕も歴史を学ぶ前は、今の紛争が絶えない怖い地域という印象しかなかったんですが、歴史を学んでみると、中東はヨーロッパと中国の文化が融合する土地としてメチャメチャ文明が栄えていたこと、そしてイスラーム教も中身を知ると本当はそこまで怖くない宗教なんだと分かりました。もちろん、争い事は絶えていないし、イスラーム教の戒律が厳しいのはその通りなんだと実感しましたが、文化の中継地点として様々な文化を受け入れる姿勢があったり、アッバース朝の時代にはイスラーム教以外の宗教の信仰もちゃんと認めていたところはすごく参考になりました。

そんな中東がこの後どうなっていくのか。次回はそこを見ていきましょう。一つになっていた王朝がまたバラバラになってそれぞれが主権を求めて争ったり、またここからトルコ王朝の躍進も見られます。現在はEUに入る入らないで揉めていて、結局入らないことしたとかなんとかで時々ヨーロッパと揉めてるニュースを見ますが、そのトルコがどういう歴史を辿っていたのか、ここ知ると面白いのでぜひ楽しみにしていて下さい。

最後までご視聴ありがとうございました。また次回もお楽しみに。

それではまた。

参考文献:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

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一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた (刊:SBクリエイティブ) 世界史の教科書 amazonで見る
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