アルムの書斎

【ざっくり世界史解説】

chapter8

〜神が多くて、何が悪い〜

ざっくり世界史解説

どうも、アルムです。

今回は「ざっくり世界史解説」のchapter8「~神が多くて何が悪い~」ということで、紹介していきたいと思います。

いよいよ、インド統一の歴史に入っていこうと思うんですが、前回はインド文明の始まりと、カーストの起源になった「ヴァルナ制」、仏教の誕生などを紹介してきて、今回はその続きになります。

「インドの統一」と聞くと、曖昧でよく分からないかもしれないので、ここでは少し言い換えて、「世界と繋がっていくインド」と考えてください。前回は、インドの中だけで起こった歴史を主に解説していたんですが、ヨーロッパ、中東の歴史でも解説した通り、インドはその後、東西の思惑にどんどん巻き込まれていきます。それは、「支配される」という意味と同時に、「交流する」という意味でもあります。つまりは文化の交流です。このあたりについて、今回は詳しく解説していこうと思います。

中東編でもそうでしたが、学校の世界史でよく教わるヨーロッパや中国の歴史しか知らないと、政治や経済的な変化、あるいは文明の発達について、断片的なことしか分かりません。

ところが、東西の間に位置する中東やインドの歴史を知るだけで、東西の世界がどう繋がっていくのか、後の世界史にどう影響してくるのかが、よりクリアに見えてきます。

僕は最近、ホラーゲームの実況動画をよく見てるんですが、ホラーゲームといえば、謎解きが大きな醍醐味です。その謎解きの中で時々、「キリル文字」とか、「シルクロード」みたいに、歴史にまつわるワードが出てきたりするんですよ。今まさに歴史を勉強している僕からすると、「ああ、これ勉強したことあるぞ。確か、、、」みたいなことが時々起きて、すごい興奮します。実況者の方はそういうワードが出てきても、「なんだこれ??どういうことだ?」というリアクションがほとんどなんですけど、歴史の知識が多少あるだけで、「この記述があるってことは、もしかしてこのアイテム、こう使うんじゃない?」みたいな予測がある程度立てられるんですよね。もちろん、たいていのホラーゲームは、歴史の知識がなくても謎が解けるように設計されているんですけど、知識があるだけで、ホラーゲームを新しい視点で眺められるのはすごく楽しいです。少し個人的な話になってしまいましたが、こんなふうに、歴史を学ぶとエンターテインメントひと味違った角度から楽しめる、ということを伝えてみました。歴史の勉強は、ただ教養を得るだけじゃなくて、エンターテイメントをより楽しむためのツールにもなり得るので、ぜひ楽しんでいただければと思います。

前置きが長くなりました。それでは、早速いきましょう。

これまでバラバラに存在していたインド国家だったんですが、アレクサンドロスが東方遠征によってインドまで迫ってくると、「分裂してたら乗っ取られる」と思った各インド国家は、それぞれで同盟を組み始めます。こうした動きの中で、最初にインドを統一に導いたのが、チャンドラグプタという人物です。

インドの名称も、中東の時と同じで日本語表記するとメチャクチャ読みづらいです。中東の時は「変なところで小文字が入るような名称」が多かったんですが、インドの場合は「変なところで長音記号(つまり伸ばし棒)が入るような名称」が多いです。繰り返しになりますが、今回の解説において、名称はそこまで一生懸命覚えなくても結構です。それよりも、地域史を通じて世界の流れがどうなっていくのか、その「ストーリー」を理解してもらえれば十分です。

さて、そのチャンドラグプタによる強大な軍事力によって、ついにインドで統一王朝が建てられます。それが「マウリヤ朝」です。マウリヤ朝は3代目の「アショーカ王」の代になって征服活動をさらに進めて、南端を除く全インドを統一していきます。

この時に活用したのが、実は「仏教」なんですね。

統一以前から普及していた仏教の倫理や道徳なんかを、国の理念にしたり、石柱に刻んだりして国をまとめようとしたわけです。また、それまで各地に散らばっていた文献を集めて、仏典の編纂を行ったのもこの頃です。

一神教の場合は布教の前に聖典を作って、そこに書かれている教えを広めて信者を増やす、ということをやってましたが、仏教の場合は「神」という存在は持たずに、教えを広めたブッダに直接教えを乞う形で広まっていったので、仏典の編纂もだいぶ後になってからだったんですね。ここも一神教と仏教を分けて考えないといけないポイントです。

さて、マウリヤ朝が衰退した後、新たに成立したのが「クシャーナ朝」と呼ばれる王朝です。

クシャーナ朝の大きな特徴というのが、マウリヤ朝と比較して、「国の位置が若干、北寄りになっていること」です。

この、北に少しはみ出した地域を「ガンダーラ地方」というんですが、ここがいわゆる「シルクロード」の一部になります。

「そういえば、シルクロードなんだっけ?」と思った方もいるかもしれません。

簡単に説明すると、「東西の交易路」のことです。ヨーロッパやアジアの文化を互いに伝え合うための長い道、それが「シルクロード」です。以前、中東編でも「アラビア半島が交易の中継地点として発展した」という解説をしたんですが、あそこも、広い意味では「シルクロード」の一部です。

「ガンダーラ地方」も同じように、シルクロードの一部として、中国やペルシア、ギリシアの文化が流入し、交易路として発展していくんですね。

この頃新しく生まれたのが、「大乗仏教」です。名前だけ聞くとピンとこないかもしれませんが、この大乗仏教こそが、日本に伝えられた「仏教」のことです。

前回、仏教の誕生について解説した時、もしかしたら勘のいい人は「あれ?仏出てこないの??」と思ったかもしれません。確かに、日本で「仏教」と聞くと、寺があって、仏像が置いてあって、そこでお参りとかして、たまにお坊さんがお経唱えてくれて、、、みたいなイメージだと思います。

実は元々インドで生まれた「仏教」と、日本に伝わった「仏教」は少し違うんですね。インドで生まれた仏教は前回も言った通り、「個人が悟りを開き、生きる苦しみから解放される」ことについて説いたものです。じゃあ日本に伝わった仏教は何なのか?それがこの「大乗仏教」というものです。

オリジナルの仏教は、自分の中で問うていくという「内省」があるので、教えとしてはこれまでになく「現実的」といえます。神のような実態のない存在に縋ることなく、ただ、自分だけを見つめることが大事だと説いてるので、今の僕らからすると納得できる部分は多いはずです。

ただ当時は、全員が全員「悟りを開けるほどの余裕があるか」と言ったら、そうではありません。現代のように社会保障が整備されてるわけでもありませんから、明日の食い扶持は自分で何とかしなければいけない。日々の生活を保つので精一杯の庶民にとって、オリジナルの仏教を信仰するのは、正直ハードルが高かったんですね。

そこで、クシャーナ朝時代のナーガールジュナという人物が「庶民がもっと楽に悟りを開けるように」ということで、「仏教の力で人々は救われる」と説きました。

「悟りとどう違うの?」と思われるかもしれませんが、「悟り」は別に「救われる」ことを目的としていません。そもそも救ってもらう必要がないからです。自分が抱える苦しみをただ自分に問いかけてるだけなので、ぶっちゃけて言えば、「自己完結できればそれでいい」んです。

「私はこういう悩みを抱えてたけど、この欲を捨てればラクになった。めでたしめでたし。」これが「悟り」です。

ところが「大乗仏教」は、「救われる」ことを説いてるので、何かに救ってもらうこと前提です。庶民がわざわざ悟りを開くことなく、教えをただ信じていれば「極楽浄土」になりますよ、そんなことを言ってるのが大乗仏教です。庶民からすれば、ただ信じてるだけいいわけですから、信仰するハードルはだいぶ低いです。これがインド国内で普及したことで、日本や朝鮮、中国にも広まっていくことになります。日本で生まれた仏教の宗派も、その多くは「大乗仏教」がルーツです。

そんな北寄りに位置していた「クシャーナ朝」ですが、南の空きスペースはどうなっていたのかが気になるところです。ここには、南インドの国として「サータヴァーハナ朝」という王朝が新たにできていました。

この王朝の役割として押さえるべきは、「海上交易路の中継地点」です。先ほどのガンダーラ地方も交易路として発展してましたが、それはあくまで「陸上に限って」の話です。人類が交易を行う手段は陸を移動するだけではありませんので、海の上も大いに利用していきます。そんな「海の上の交易拠点」として栄えたのが、サータヴァーハナ朝ということです。

南インドはインド洋に突き出た形になってるので、ローマ帝国と中国の後漢王朝は、「南インドが交易の拠点として都合がいい」ということで、存分に活用していきます。これによって王朝全体が繁栄し、クシャーナ朝と対を成す王朝として確立していきました。

さて、クシャーナ朝が滅亡して100年が経つと、今度は「グプタ朝」という王朝が新たに成立します。この時期、また宗教面で新たな変化が起こります。

それが、「ヒンドゥー教」の誕生です。

名前は聞いたことあるけど、どんな宗教かよく分からないという方も多いかと思います。

ヒンドゥー教というのは、一言で言うと「多神教の宗教」です。前回解説したバラモン教に、さまざま民間信仰が混ざり合った宗教、それがヒンドゥー教になります。

よくゲームや小説なんかで、「シヴァ」とか、「ヴィシュヌ」と言う名前を見たことがあると思います。これらの神もヒンドゥー教の中で生まれたものです。「シヴァ」は破壊と創造の神、「ヴィシュヌ」は世界を維持する神です。ここに民間信仰の神も無数に混ぜ込まれます。

面白いのが、このヒンドゥー教に「仏教」が組み込まれたということ。教祖であるブッダ、つまり「お釈迦様」も「ヴィシュヌ神の化身」として神の一つに混ぜ込まれます。

なので解釈上、お釈迦様もヒンドゥー教の神の一部だということで、仏教徒もヒンドゥー教の一部ということになります。

ヒンドゥー教は「バラモン教2.0」でもあるので、前回紹介した「ヴァルナ制」についても手を加えます。それぞれの身分においての義務を記した「マヌ法典」というのが、ヒンドゥー教徒の生活の規範として新たに定着します。上の身分には上の身分、下の身分には下の身分としての規範があると言う考えに基づいてるんですが、身分を作ると、遅かれ早かれ必ず「格差」の問題に直面します。経済的にも政治的にも「身分が上だから、下だから」と言う理由だけで理不尽に差別されることは、どの国、地域でも変わりません。インドもその影響を受けたことで、今でも身分格差が埋まらない状況となってしまっています。

一度格差を作ると、それを解消するのはなかなか難しいと言うのは、宗教に限らず、経済でもよくあることです。「身分を作って、その後何が起こるかまでをよく考えないと、後々面倒なことになる」と言うのは、教訓として覚えておくべきでしょう。

さあ、グプタ朝が崩壊すると、今度は北インドの方で統一王朝ができます。それが「ヴァルダナ朝」と呼ばれます。この王朝は即位した王の死亡と同時に滅亡したので、「一代限りの王朝」なんですが、世界史に乗る理由は、ある「有名人」がここを訪れているからです。

その有名人というのが、中国の僧侶「玄奘げんじょう」という人物です。名前だけ聞くとマイナーな人の気もしますが、この人のあだ名はおそらく聞いたことがあるはずです。「三蔵法師」というあだ名です。

そう、三蔵法師といえば、中国の有名な小説「西遊記」に出てくるキャラクターです。

日本でもドラマ化や舞台化が行われて、かなり知ってる方も多いんじゃないかと思います。簡単にどういう内容かというと、僧侶の三蔵法師が、猿の孫悟空、豚の猪八戒、水の妖怪の沙悟浄の三人を連れて、天竺、つまり古代のインドを目指すという物語です。旅の目的は、中国では手に入らない仏教の経典の原本を手に入れるため。それを本国へ持ち帰り、経典の翻訳と自身の旅の記録を書物に残したことで、「仏教の研究と、当時の世界情勢を後世に残した人物」として歴史に名を残すことになりました。特に旅の記録は、『大唐西域記』というタイトルで現在でも出版されてるので、旅好きの方は教養として読んでみると面白いんじゃないかと思います。

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さて、統一王朝が続いたインドでしたが、10世紀以降になるとイスラーム勢力がインドの主役となっていきます。13世紀には、元トルコ人奴隷のアイバクという人物が、北インドを統一して「奴隷王朝」という王朝を新たに建てます。中東編をご覧いただけた方々はピンときたかもしれません。「奴隷王朝」というと、中東ではフビライ=ハンの息子・フラグが建国したイル=ハン国が建てられた頃に、隅に追いやられたトルコ人奴隷兵たちによって作られた王朝の一つでしたね。この、奴隷王朝がインドに建てられてから約300年間、インドの都市・デリーに都を置く期間が続きます。

その後、インドのイスラーム王朝として最大規模を誇ったのが「ムガル帝国」です。初代皇帝のバーブルという人物を建国者として、なんと300年以上にわたってインドを統治するんですね。これまでたくさんの王朝を紹介してきましたが、一つの王朝を何百年も維持することは相当に難しいです。理由はいろいろありますが、特に大きいのは2つ。

まず第一に、外敵からの攻めに対応できなくなること。もう一つは、トップの人間が暴君になってしまうからです。これらの理由により、たいていの王朝や帝国は100年ともたずに滅びます。

その点、ムガル帝国はローマ帝国やビザンツ帝国と並ぶ「長寿国家」として栄えていきました。

なぜ、長寿国家を築くことができたのか?長く続く国家の背景には多くの場合、トップの人間の采配が関係しています。ムガル帝国でも同じように、国家を長くまとめられるだけのトップがいたんですね。それが「アクバル」という人物です。

ムガル帝国は、インドのイスラーム王朝として広大な領土を誇っていたんですが、アクバル以前の皇帝達は、自分の権力の強大さを振りかざして、インド全体をイスラーム教に塗り替えたいと思っていました。

ところがインドではすでに、ヒンドゥー教が広く普及しています。ここで押さえなければいけないのは、「イスラーム教とヒンドゥー教は、水と油の関係にある」ということです。

イスラーム教というのは一神教です。つまり、「神はただ一つしか存在しない」という考えがベースにあります。加えて、「信者は全員平等」が基本原則です。聖典コーランに従って、祈りや断食を全員が行うことで、平等意識を高めようとするのがイスラーム教の大きな特徴でした。

一方のヒンドゥー教は、それとはまるで逆です。まず、「神はたくさんいる」という多神教の考え方がベースにあった上で、信者には「マヌ法典」に基づく身分格差が存在します。

信仰の対象も違ければ、信者に対する考え方も違う。そんなインドに対して無理やりイスラーム教を広めるとどうなるか。おおよそ察しはつくと思います。案の定、両信者の間で対立が起きてしまいました。

この状況を解決すべく立ち上がったのが、第3代皇帝のアクバルというわけです。

彼は無理にイスラーム教を広めることはせず、宗教融和に努めます。まず、自分の奥さんにヒンドゥー教の人を選んだ上で、イスラーム世界では慣習となっていた、「人にかかる税」を廃止する、という政策を行いました。また、都を遷都して中央集権化を進めたことで、国の安定化にも尽力します。こうして、宗教の融和と、国の安定に貢献した業績により、アクバルは「インド史上最高の名君」と呼ばれるようになりました。

長く続く国家にはほとんどの場合、こうした文化や歴史に理解のあるトップがいます。これは、今も昔も変わらない不変の事実だと僕は思っています。「歴史を学ぶことは大事だ」いつも言われますが、その理由はこういう事実があるからかもしれません。

アクバルの後、ムガル帝国の5代目皇帝として即位したのは、シャー=ジャハーンという、なんとも楽しそうな名前の人物です。名前は全然聞いたことないかもしれませんが、この人建造した遺跡はめちゃくちゃ有名です。

世界一美しい墓『タージ=マハル』です。

彼はかなりの愛妻家として知られていて、妻の死後、できるだけ美しい墓に埋葬してあげたいとの思いから、タージ=マハルの建築に着手します。墓は無事完成し、奥さんを埋葬することもできたんですが、建造にかなりの費用を使ってしまったことで、国家予算が底をつきかけるという失態を犯してしまいます。

国の将来が危うくなったところで、息子のアウラングゼーブという人物が反乱を起こし、なんと父を監禁してしまいます。息子に裏切られたシャー=ジャハーンでしたが、死後は奥さんの隣に棺が置かれることになりました。

後を引き継いだアクラングゼーブは、かなりの野心家と言われていて、国の領土をさらに広げようと精力的に遠征を繰り返します。結果、彼の代にムガル帝国は最大領土を誇ることになるんですが、その欲の強さが国の崩壊にも繋がってしまいます。

アウラングゼーブは敬虔なイスラーム教徒だったため、アクバルが行った宗教融和を否定し、「人にかかる税」の導入を再開するなど、ヒンドゥー教に対して厳しい政治を行うようになります。これが両教徒の同意を得た上で行われるのなら良いんですが、彼は皇帝として独断でそれを決めてしまいました。インドでは、ヒンドゥー教が人口のおよそ9割を占める国にまでなってたので、結果的にヒンドゥー教徒からの大反発を喰らい、各地で反乱が起こってしまいました。

このパターンは、中東編のウマイヤ朝からアッバース朝に変わる流れとよく似ている気がします。あの時もウマイヤ朝のトップは「アラブ人優遇政策」といって、アラビア半島に住むアラビア語を話す人には税金をかけずに、それ以外の人には税金をかける、というあからさまな贔屓を行ったことで、平等を謳うはずのイスラーム教徒から反発され、滅びました。

多くの民族が混ざり合った国家である以上、どこか一つの宗教や民族を極端に優遇すると必ず反発が起こる。これも歴史の教訓として覚えておくべきことです。

反乱で荒れたインドはその後、イギリスやフランスの支配下に徐々に置かれるようになり、「インドの植民地化」が始まります。今では、その植民地化が割と長く続いたことで、インドでは英語を話す人が多く、アメリカやイギリス企業の海外拠点として経済成長しているという側面もあるんですが、植民地化された当初は「絶頂からの転落」というジェットコースターを体験した、苦しい過去を持つ国でもあったというわけですね。

ということで、今回は以上になります。「インドの歴史」ということでざっくり紹介してみましたが、やはり前回に引き続いて思うのは「変化が激しい国」という印象です。特に宗教の移り変わりは、これまで解説したヨーロッパや中東と比べて圧倒的に多いのは間違いありません。精神の拠り所が常に変わっていくのは、民衆からすればかなり大変だったと思いますが、逆に言えば、そうやって宗教が目まぐるしく変化していった歴史のある国だからこそ、どの宗教でも受け入れる「多様性」が育まれていったのかなと気がします。

前回の冒頭で、インドという国は「成り行きで多様性になった国」ということを言いました。ここまで見てくださった皆さんなら、その意味がなんとなく分かっていただけんじゃ無いかと思います。

元々はバラモン教でやっていこうとしたけど、反発を食らって仏教になり、でも悟りを開くのはハードルが高いということで「大乗仏教」が広まり、そうこうしてる間に「ヒンドゥー教」ができて仏教は取れ込まれ、安心しきったところにイスラーム勢力がやってきて対立。

こうして現実世界と精神世界のあり方をさまざまな形で経験していった結果として、多くの民族、多くの宗教、多くの言語で溢れる、現在の「インド」が形成されていったんだなと分かりました。

どんな国にも、その国独自の成り立ち、「ストーリー」があります。それを一つ一つ学んでいくことで、現在の世界情勢やエンタメまでも楽しく感じられるとしたら、世界史を学ぶ意義は本当に大きいと僕は思います。インドの歴史もその一つとして認識していただければ嬉しいです。

さて、次回は4つの地域史の最後、「中国」について解説していこうと思います。

日本と一番関わりが深いと言っても過言時じゃない中国ですが、「どの時代に、何が起きて、どう変わっていったのか」、そのストーリーを頭に描き切れてる方はそう多くはないと思います。

儒教や道教をはじめとする「諸氏百家」、三国志の舞台となる「三国時代」、遣唐使の派遣などが行われた「唐」の時代など、断片的に知ってるところはあるけど、それが中国史全体、ひいては世界史にどう影響してくるのかまではよく分からない。そういう方もきっと多いと思うので、中国が世界史にどう影響していくのか、それを次回から解説していこうと思います。できるだけ分かりやすくする伝えられるよう尽くすので、ぜひご覧ください。

最後までご視聴ありがとうございました。また次回も楽しみに。

それではまた。

参考文献:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

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一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた (刊:SBクリエイティブ) 世界史の教科書 amazonで見る
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