アルムの書斎

『失敗だらけの人類史』

人類が犯してきた過去の失敗は、今を生きるカギとなる。

失敗だらけの人類史

どうもアルムです。今回はステファン・ウェイアさんの著書、失敗だらけの人類史について、紹介していきたいと思います。

歴史を学ぼうと思った時、皆さんはこれまでどんな動機で学んできましたか?僕の推測ですが、「進学するため」と答える方が割と多いんじゃないかと思います。もしそうでないと言うのなら、これまで日本に住む多くの方々が、世界情勢や国内の行政にここまで無関心であることの説明がつきません。歴史を学んでいたのはあくまで進学するためで、学生という身分と、進学先の卒業資格を得た上で、「ああ、この人は進学をした人なんだな」と周囲に認識されたい、という世間体を維持していたいからなんじゃないかと思っています。

今更それを否定するつもりはありません。僕も以前はその程度の動機で歴史を勉強していましたから。ただ、もったいないなとは思います。

改めて歴史を勉強し直してみると、歴史を知ることにはもっと大事な意味があるとつくづく考えさせられるからです。

その一つが、過去の過ちを知ること。

人類の歴史は失敗の歴史とも言えます。その失敗は、優秀で善意に満ちたものから悪巧みをする不心得者まで、あらゆる人間がやらかしてきました。ほとんどの失敗は、するか、しないか、という二択において選択を誤ったために起こったもので、そのときには一番いい考えに思えたものばかりです。

それが結果として、多くの人の命を奪ったり、国や王朝を破滅させることに繋がりました。知れば知るほど、僕たち人間は愚かな生き物なんだと思い知らされます。とはいえ、同時に人類はその失敗に学び、時代とともに世界をもっとより良いものにしようと奮闘してきたことも事実です。歴史を知ることは、先人たちの過去の失敗を知り、それを現代に活かすことで自分や社会にとってより良い選択をするということ。今回紹介する本は、その大切さを伝えている本です。

構成は、時代ごとに失敗の歴史が小分けして紹介されているんですが、今回は特に、チャーチルの描いた国境線という1つのトピックに絞って、紹介していこうと思います。

それでは、早速いきましょう。

まずはチャーチルの描いた国境線について話していきましょう。結論から言うと、この失敗によって生まれた結果とは、今日まで続く中東戦争の火種です。舞台はイギリスと、中東諸国です。

現在の中東と呼ばれる地域は元々、オスマン帝国という一つの大きな帝国として栄えていました。第一次世界大戦後まもなくドイツとオーストリアと同盟を結び参戦しましたが、敗北。戦勝国との取り決めにより、オスマン帝国は解体されることになります。解体後の帝国はほとんどの地域が未統治状態でしたが、構造が割と複雑だったため、各州によってある程度自治が機能していました。そんな中イギリスは、植民地拡大の目的で解体したオスマン帝国を支配下におきたいと考えますが、対戦後の疲弊により、力任せに進軍できるほどの余力は残っていませんでした。そこで、パレスチナに主権国家を建設したいというユダヤ人の要求を上手く利用して、中東の地域を統治しようと画策します。これが1917年のバルフォア宣言です。

しかし、これに多くのアラブ人が激怒。今まで住んでいた土地をいきなり明け渡すなんて納得できないということで、ナショナリズムが加速していきました。

ただ当時のイギリスは、支配こそ目論んでいたものの、あくまでアラブ側の主張と折り合いをつけながら進めようとしていました。中東地域は信仰している宗教が入り混じっているため、現状の政治的理由のみで無闇に推し進めると、必ず反乱が生じる懸念があったからです。だから当時のイギリスの首相デビット・ロイド・ジョージは、中東の事情に一定の理解があったサー・マーク・サイクスに自治を任せることで、支配を目標としながらも、アラブ族長をはじめとした現地指導者たちと調和を図りながら、イギリス側についてくれるよう取り計らっていました。

しかしサイクスは、話がまとまる前の1919年に突然亡くなります。ロイド・ジョージは後任に悩んだ挙句、1921年に植民地相にある男を起用しました。それがウィンストン・チャーチルです。チャーチルは就任してからというもの、それまでの方針を完全に無視した政策を進めました。彼の目的は、軍隊の解体とアラブの抵抗を鎮圧して、地図を塗り替えること。イギリスはそれまで交易の拠点としてエジプトを統治していたんですが、チャーチルはここを引き続き保護下に置くために、現地の人々の抵抗を無視して、以前から宗教上の理由で分割されていた3つの州、モスル、バグダッド、バスラを、まとめて一つの国イラクとして組み込んでしまいます。この三地域はイスラム教の原理主義に関する対立で、スンニ派とシーア派という2つの勢力に分かれていたので、それを一緒くたにさせられると、倫理観に基づいた生活基盤がメチャクチャになって間違いなく争いが起こります。これには特にクルド人が激しく抵抗しました。ところがチャーチルには、それらの主張を聞いて調和を図ろうとする考えが一切なく、歯向かう奴は殺して黙らせるという考えに一貫していました。結果、チャーチルは抵抗してきたクルド人に対し、化学兵器の毒ガスによる殲滅を実行。反乱の鎮圧には成功したものの、多くの死者と現地人からの恨みを買うことになりました。

その後、現地の政治的リーダーに対し、イギリスを支持する見返りとしてアラビア半島すべてを引き渡す決定がされました。これら一連の統治政策によりサイクスの計画は完全に破綻。チャーチルはエジプト、カイロでの会議により、新たな国境を作り出しました。この政策が失敗と評される理由は大きく二つ。人工国家イラクの建国と、現地の主張を無視した強引な国境の策定にあります。宗教観の違う3つの州をまとめて放り込んだイラクの建国は、国内外から大きな避難と警告が相次ぎました。鎮圧したクルド族に対しても、当初は自治を約束していましたが、イラクが建国されて早々、反故にしています。

そして国境の策定。イギリスを支持する現地のリーダー、イヴン・サウードにアラビアの中心地が与えられ、これによって復活したのが、現在のサウジアラビアです。カイロの会議では、イラクとサウジアラビアに新しい国境を作ってやろうと、ユーフラテス川の西側を無分別にイラクに与えてしまいます。本来ならこの地域はサウジアラビアの領土となるべきものでしたが、イヴン・サウードに見返りとしてクウェートの支配権を与えてしまったことで、イラクはペルシア湾への広大な経路を、事実上切り離されるはめになりました。

結果として、サウジアラビアとイラクの対立は今もなお続いています。1990年にはイラクによるクウェート侵攻が行われ、のちの湾岸戦争にも発展しています。

第一次世界大戦後後も続いた帝国主義なイギリスの欲望、アラブの現地民とユダヤ人の間でトラブルを誘発させるような外交政策、そしてそれによる反乱を毒ガスを用いて強引に鎮圧したチャーチルの政策、アラブ諸国全土から反感を買うような人工国家の建国と、国境の策定。

現在まで続く中東地域の情勢不安は、戦時中のイギリスが、中東地域の歴史と戦後の行く末に対して、あまりにも無知で無関心であったことが原因だということです。これを聞いてくださっている皆さんも、この機会に中東の歴史について少しでも知っていただければと思います。

今回は以上になります。失敗だらけの人類史、紹介してみましたが、本当はもっと紹介したいトピックが山ほどあります。特にサリドマイド発売の歴史に関しては個人的にすごく面白かったので、また別の機会に紹介できたらと思っています。ビジュアル形式なので写真やイラストがついてて見やすいですし、アダムとイブによる禁断の果実という紀元前の話から南アジア政府による津波観測センサの設置という現代に至るまで、数々の人類の失敗が綴られています。気になった箇所だけでもいいので、是非一度読んでみてほしいと思います。

歴史を知ることは、今を知ることです。参考にしてみてください。

最後まで見てくださりありがとうございました。stand.fmというで音声配信もしているので、こちらもぜひ覗いてみてください。

次回もお楽しみに。それでは、また。

失敗だらけの人類史 英雄たちの残念な決断 (刊:日経ナショナルジオグラフィック社) 失敗だらけの人類史 amazonで見る
他の記事を見る